モーツァルトを聴きながら
今週の火曜日、とある男性と会食しました。
相手は、30年間勤めた地元の音大(県立芸術大学)教授を、この春65歳で退官された方。
専門はチェロ。
私にとっては、ピアノ講師である妻をのぞいて、クラシック音楽の会話で盛り上がれる数少ない人です。
長年のお勤めから解放されたこともあってか、のんびりとリラックスした雰囲気で食事を楽しみました。
歓談の流れは、65歳 ⇨ 年金受給開始 ⇨ 何歳から受給するのが有利なのか ⇨ 何歳まで生きるのか、 という展開に。
36年後の宿願
何歳まで生きるのかは自分にも分かりません。
が、何歳まで生きたいかは明確なイメージを持っています。
「ここまでは生きたい」と私が思い描いているのは91歳。
その理由。
91歳を迎える2056年は、モーツァルト生誕300年に当たります。そのメモリアルイヤーを堪能してから旅立ちたいのです。
1991年、私が27歳の時は、没後200年イヤーでした。
クラシック音楽ファンにとっては、モーツァルトで彩られた1年を楽しむことができました。
音楽ホールでは多くのモーツァルトイベントが開催され、FM-NHKでもモーツァルト特番でこの1年を盛り上げていました。
当時は東京在住だったため、私もコンサートホールに数回足を運んだのを覚えています。
あのようなモーツァルトに溢れた世界をもう一度だけ体験したい。
願わくは、足腰丈夫な91歳であれば、ホールに出向いて生演奏に浸りたい。
これが36年後の宿願です。
生きる目標は生きる力
この念願が叶うかどうかも、もちろん分かりません。
そうだとしても、強く“思い” 強く“願う” ことは、間違いなくその実現をたぐり寄せます。
精神(心)と身体は切っても切れないほど繋がっています。
日頃からの健康管理、ならびに予防対策を施したうえで、先々の目標をしっかり抱けば、「元気な91歳」もあり得ない話ではないと考えます。
「死とはモーツァルトが聴けなくなることだ」。
これはアインシュタインが遺した言葉です。
アインシュタインのほかにも、モーツァルトを聴きながらこの世に別れを告げたいと望む人は少なくありません。
私もその中のしがない一人ですが。
では、どの曲を聴きながらその時を迎えたいのか。
最後の晩餐ならぬ最後の一曲です。
私は「ピアノ協奏曲23番 イ長調」。
内田光子さんのピアノ演奏で、1986年に録音したCD を選びます。
(肝心のCDがややピンぼけです)
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