僧侶に尋ねよ
前回のブログは『利休にたずねよ』でしたが、今回は「僧侶に尋ねよ」です。
『サライ』という雑誌にそのような特集記事が掲載されています。
コロナによる受難の時代を乗り越える智慧を僧侶に求める、というものです。
多くの僧侶がそれぞれに金言を発していますが、私の考えに近いと思う一つを抜粋します。
岐阜県正眼寺の住職、山川宗玄さんのコメント。
「語弊があるかもしれませんが、コロナは恐れるに足らないと思います。世界中に蔓延しており、命あるものすべての生き方が改めて問われていますが、これは本来当たり前のことです。
いたずらに過度の恐怖心を持つことはないでしょう」
泰然自若として動じることはない、ということです。
「どんな時代も一寸先は闇です。人生も同じですね。
今日は安全、明日も安全。そんな呪縛をかけて生きているのが間違いです。
世の中の現象は宿業(前世の善悪の行為)、因縁によって起こる。これを現成(ゲンジョウ)といいます。〈現状〉は変えられても〈現成〉は変えられない。〈現成受容〉、素直に受け入れるしかないのです」。
コロナに限らず、猛暑、豪雨、地震、噴火など、人の叡智ではどうにもコントロールできないものばかりです。
備えは出来ても、それ自体は受け入れるより他ありません。
「毎日すべきことをしていると、日常にスキが少なくなる。
何か変わったことがあれば、すぐに気がつきます。気がつけば即座に対応できる。
何かに捉われると足が地につかない」
コロナ禍では、変わらない日常がいかに大切なのか、あらためて考えさせられます。
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