満 鉄
鑑賞した映画『スパイの妻』は、満州国の関東軍が行った生体実験という国家機密に関わるストーリーでした。
いったい傀儡国家である満州国とはどういう所だったのか。
近現代史の中で、どう扱われていたのか。
私は今まで勉強したことがありません。
が、ほとんど知られていないこの史実に、今回なぜか向き合ってみたくなりました。
満鉄の実態
私の母方の祖父が満鉄に勤めていたのが理由です。
そこでまず、満鉄に関する文献を読みました。
満鉄。正確には、南満州鉄道株式会社。
1906年に東京にて設立、翌年には満州開拓の橋頭堡である大連に本社を移転しました。
日本国の満州支配をインフラ面で手助けし、既成事実を積み上げていく国策会社です。
そのため、資本金の半分は日本国政府の出資です。
鉄道会社を名乗っていますが、それは表の顔。
ホテル、住宅、病院、学校、図書館、または倉庫などの港湾関連施設までその事業範囲は幅広く、あらゆる都市整備の役割を担っていました。
日本本土でも阪急や東急などが先に線路を敷き、その路線周辺に街づくりをしていたので、さして驚くことではありません。
ところが満鉄は、およそ鉄道事業と結びつかない炭鉱の経営をしていました。
撫順炭鉱の裏事情
露天掘りで知られる撫順(ぶじゅん)炭鉱です。
炭層が地表近くにあるので露天掘りが可能であり、効率よく大量の石炭を採掘でき、なおかつ事故がほとんど起こらないというメリットがありました。
私の母はこの撫順市で生まれ、撫順の順を取って順子と名付けられました。
それもあって、なぜ満鉄が撫順炭鉱を手掛けていたのか知りたかったのですが、この本を読んでようやく謎が解けました。
満鉄の資本金の半分は日本政府の出資であると先ほど書きました。
資本金は2億円だったので、1億円になります。
しかし、日露戦争の戦費が膨大なものとなり、当時の国家財政は逼迫していました。
とても1億円の現金を捻出できません。
そこで現物出資をしたのです。
帝政ロシアから譲渡された鉄道とそれに附属する一切の財産、そして炭鉱。
これが満鉄撫順炭鉱の経緯です。
設立時の社員数が1万人余り。それが1944年には約40万人まで膨れ上がるのですから、発展をきわめたことが想像できます。
しかしそれも、終戦により全てソ連軍に奪われ、のちに中国に返還されます。
返還です。もともとが清国の領土で、日本国が好きがってに開発してよい場所ではなかったので当然の帰結です。
広島や長崎、沖縄と違って、国外で起きたことは情報が少なく、あるいは何かの理由で解き明かしたくないのか、知る人は少なく、歴史の闇に葬り去られようとしています。
帝国主義政策の間違いを後世に伝え残すためにも、満州国の史実をもっと詳らかにしてほしいと考えます。
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