終活はよりよい人生の第二楽章
終活は明るくプラス発想で
前回の予告では、「僧侶はどうやって戒名をつけているのか」を書くはずでしたが、少し脇道に外れます。
昨日の地元紙・琉球新報に、沖縄終活ファミリーフェスタなる広告が掲載されていました。
メインタイトルは、家族みんなではじめよう「終活」、と謳っています。
終活のイメージも完全に変わりました。
終活は今や「死ぬ準備」といった暗いイメージではなく、これからの人生を輝かせるための「前向きのプランニング」としてプラス発想で捉えられています。
サブタイトルをズームしてみます。
いいですねぇ。とくに、クラシック音楽好きの私(代表:神代知明)としては。
多くの曲で第二楽章は、美しく甘美な旋律に彩られた、珠玉の音楽です。
チャイコフスキー「弦楽セレナード」の第二楽章は、この世のものとは思えない美しさ・・・
ついつい、そっちの話になってしまいますが、このように終活は人生の第二楽章と考えるのはいいことです。
終活は早過ぎるということはない
そう考えるのであれば、終活はあまりにも高齢になってからでは遅いのではないか、という疑問が出てきます。
この宣伝記事には、下のように書いてありました。
「適齢期は40歳」には少し驚きですが、50代では必ずしも早過ぎることはないと言えます。
私も来月で55歳。まだまだ先のこととは言ってられません。
始めたばかりの生前戒名サービス「エピローグ令和」は、これから息長く続けていくことになります。
が、心おきなく事業に取り組むためには、やはり自分自身の終活を疎かにしないことも大切です。
それが結局は安心につながるのでしょう。
終活の一環として生前戒名を
エピローグ令和では、いつ始めても早過ぎることはない終活の一環として、生前戒名のご検討をお勧めしています。
それは、前倒しで作業をして安心感を得ることにとどまりません。
前々回のブログで記した、「その後の人生を少しでも充実したものにする」ための生前戒名だからです。